10 生まれる前


島左近は料理を得意とし、親しい人間にその腕前をいつも披露していた。
レバートリーは多岐に渡り、和食はもちろん、中華、洋食までどんな料理もおてのものだった。
自分は前世では料理人だったと言い張るほどその腕前に自信を持っていた。

ある日左近は石田三成に呼び出された。
呼ばれた場所は三成邸で、自慢の包丁セットを持ってきて欲しいというお達しであった。
言われるがままに三成邸を訪ね、門前で声をかけると、手伝いもいないらしく、三成直々に左近を迎えてくれた。

「左近、すまんな。まあ入ってくれ」
三成はフリルのついた白いエプロンで左近を迎えてくれた。
似合っていないでもないが、恥ずかしくはないのだろうか。
左近はそう思ったが、口には出さずにいると、三成の方から
「おねね様に借りたんだが…やはり変か…」と。
「いや、似合ってますよ。おねね様も粋なことをなさいますね」
「そうか!」
三成は少し嬉しそうに笑った。

居間に通され、茶を入れてくれた三成は早速と話し出した。

「実は、普段世話になっている秀吉様とおねね様に食事でも御馳走しようと思ってな。どうせなら俺自信でつくろうと。
それで料理家の左近に教えてはもらえんかと思ってな。」
「へえぇ。殿もなかなか粋なこと考えつくもんですね」
「そうか?では教えてくれるか?」
「ええ、もちろんいいですぜ」
「そうか、ありがとう。では早速だが、俺が作った試作品を食べてみてくれ」
三成はそういうと奥に引っ込み、しばらく出てこなかった。
自分が来る前に何か作っていたんだなと、左近は胸を躍らせた。
普段なんだかんだ強がっていても、いいところもあるじゃないか。これぞまさにツンデレ。一生傍らで殿を支えていこ
う。
そう心の中で思ったところで「待たせたな」という三成と、それと一緒に鼻につく異様な臭い。
手に持った盆の上には皿。その上には何かが盛ってあった。
何か。
「汚物?」
思ったが口には出さずにいた。
「殿…なんですかい?それは」
「うん。シチューという物らしい。外来品だ。この『君にもできる簡単外来料理ブックVol5』を見て作ったんだが左近、
食べてみてくれんか」
「殿は食べてみたんですかい?」
「いや、まずは先生にと思ってな」
『ゴクリ』
死ぬかもしれない。左近はそう思って息を飲んだ。
決して喉を鳴らしたわけではない。
人間の食べものとは思えないような臭いと、どぶ川を流れる物を連想させるような外観。
これを食えと?

シチューという品物は知っていた。
確か、肉、玉葱、人参などを炒めた後で煮込み、ホワイトソースとかいう代物や、デミグラスソースなる代物で仕上げ
るトロリとした物。
しかし、今目の前にあるものはどちらなのか。
クリームシチューか、ビーフシチューか。
ちょうどその二つの中間色をしているように見える。
それよりもなによりもこの匂いはなんなのだ。
殿はなんともないのか、それとも鼻がいかれちまっているのか。
「それにしても今日は鼻の調子が悪い」
そうだ。殿は強度のアレルギーだった。

無理だ。食えん。
しかし、自分がこの汚物らしきものを食わないことで殿を傷付けることになるかもしれない。
それ以上に自分の今後のこともいやらしく考えてしまう。
自分がこの汚物を食わないことで二人の関係がぎこちなくなり、殿の側近から外れることになったり、または、嫌がら
せを受けたりするかもしれない。
食わざるをえない。
左近は腹を決めた。

「いただきます」
「どうぞ」
左近はスプーンを持ち、少し震える手でそのシチューらしき汚物をすくい、口に運んだ。
「むぐっ」
なんだこの味は。
生まれてこのかたこんな味の物は食べたことがない。
酸味、苦味、ほのかな甘味が混ざり合い、旨味はかけらもない。
今すぐに吐き出したい。しかし殿の期待の眼差しの前でそんなことができるわけもない。
しかも自分は料理人の端くれ。
一度口に入れたものを吐き出すなどという食べ物を粗末にする行為ができるわけもない。

額からは大量の汗。
そして飲み込んだ。

「結構なおてまえで」

そういいながら左近は口から泡を吹きその場にバタリと倒れた。



翌日、三成は入院中の左近を訪ねた。
「いやあ、悪かったな左近。昨日のシチューはちょっと失敗だったようだ。野菜が古くなっていたのかもしれんな、はっ
はっは」
あれは野菜が古くなっていたどころの話ではなかった。
きっとセンスの問題だ。
先程まで下痢と嘔吐が止まらなかった左近は三成には金輪際料理をさせるものかと心に誓った。
そして犠牲になったのが秀吉様やおねね様でなく自分で本当によかったと胸を撫で下ろすのだった。

「すいやせん、ちょっと厠に」
そして左近は本日八度目の厠に向かうのだった。


終わり


左近って料理人っぽ