9 はじめての日


立花ギン千代は今、この世の物とは思えないような物を目の前にして、頬を染めていた。
鍛錬を積み重ね、その辺の男に負けない腕っ節を持っていることは自負していた。
そして女と言われるのに嫌悪感を抱かずにいられなかった。
しかし、今は違った。
「か…かわいい…」
ギン千代の面前にいるのは今川義元だった。
その時のギン千代には一般の女性が抱く「かわいい」という感情を完全に理解できていた気がしていた。

その日からギン千代はどうも調子を崩していた。
あれから自分の眼球には何か仕込まれているのではないかというぐらい、全てのものが可愛く見えた。
特に丸いもの、白いもの、触ると柔らかそうなものなどに対して「かわいい」という感情を抑えることができなかった。
そのようなものを見る度、頬を染め、脈拍を上げ、血圧を上昇させていた。
しかし、その感情に慣れているわけではなかった。
どちらかというと、恥ずかしい気持ちなのではないかとさえ思ったが、すでに抑え込むことは出来なくなっていたの
だ。
ギン千代は少し変わってきていたのかもしれない。

ある日の戦で、彼女は島津義弘と出会った。
普段なら島津の顔を見ただけで飛び掛かりそうになる彼女だか、今日は違う。
「女、どうした?今日はあまり交戦的なように見えんな。」
「お、お、女ではない。たた立花だ…」
「なんだ?調子が悪いのに、戦場に出てきたか?」
「ち、ちがっ…うっ…駄目だ…」
そういうとギン千代は戦場で武器を置いた。
「なんと…刃を交える前に降参か?」
島津の武器に刃はついていないが、それはどうでもよかった。
刀を置いたギン千代は地を見詰め、少し奮えている。
「では遠慮なく行かせてもらおうか」
丸腰のギン千代に島津は大槌を降り降ろそうとする。
容赦はない。
戦場で武器を捨てた人間が愚かなのだ。
「待て。待ってくれ!」
地を見ていたギン千代は目線を動かし、島津を見据えた。
大槌はギン千代の脳天を撃ち抜く寸前でピタリと留まった。
「どうした?命乞いか?」
「違う」
「ではなんだ?」
「その丸くてフカフカしていそうな腹を触らせてくれ」
「あ?」
「その真ん丸でプクプク(ブクブク)してて、柔らかそうな腹を触らせてくれ!」
「な、なんと…」
島津はギン千代の真剣な眼差しを見て後ずさった。
当然だろう。
さしで戦る時でさえ、ギン千代のこんな眼差しをみたことはなかったからだ。
真剣であって、しかし愛情を感じられる眼差し。
その眼差しに、島津は折れた。
「…いいぞ…」
「本当か!?感謝する!」
ギン千代は一歩づつ島津に近付き、ゆっくりと島津のその腹に掌を差し延べた。
小刻みに震えるその手をぷっくりと膨れたその腹に。
腹に触れた掌を時計回りに動かす。
「うぅ…」
その口から吐息を漏らしながらギン千代は真剣に腹を撫で、島津はギン千代の表情を見て、なんと、武器を置いた。
次は反時計回りに。
撫で撫で撫で………
「こんなわしでええのんか…?」
少し鼻息を荒くし、島津は腹を撫でるギン千代に覆いかぶさろうとした。
年甲斐もなく興奮してきたらしい。
しかしギン千代は身軽に後ろに飛び、覆いかぶさろうとする島津をかわした。
「硬い…」
「なんと?」
肩透かしを喰らった島津は自分で自分を抱く恰好になってしまい、かなりの羞恥心を感じたが、それよりもギン千代
の先程とは違った表情に疑問を抱く。
「なんだ、女!その気になったのではないのか」
島津義弘、歳はとっても男は男。
しかしギン千代は
「貴様…そんな柔らかそうな腹なのに…ふかふかしてると思ったのに…カッチカチじゃないか!!」
「ええ!?何?」
「私の期待を裏切りやがって!このカッチカチ!!」
「そ、そんなの知らんわ!!」
ギン千代は自分の武器を手に取り、島津に襲いかかる。
眉間にシワを寄せ、もののふの面になっていた。
寸ででそれをかわす島津。武器を取る暇さえ与えさせてはくれない。
「ギ、ギャー!!ごめん!なんかごめん!」
「うるさい!このカッチカチ!」
島津の腹は鎧でカッチカチなのか、固太りでカッチカチなのか、だれにもわからなかったのだが、二人の戦いはその
後長いこと続いたのだった。


終わり


くやしいです!!