8 名前を呼んで


彼の名前は何というのか。
豊臣秀吉はずっと考えていたが、どうしてもわからなかった。
部下に書面で名を渡されたものだから、本当に困っていた。
まさかフリガナをふれなどとは言えないし。
「これ、なんて読むの?」
なんて一国の主たるもの、口が裂けても言えない。
誰かが口にするのを聞いてやろうと耳をそばだててみても、皆なかなか口にしないのだ。
きっと、わからないのだろう。
だいたい、なんだ、あの長い名前は。
秀吉はそれから、彼を呼ぶとき、「おい」だとか、「ねえ」だとか、「そこの」だとか言ってしまう自分に少し引け目を感じ
ていたのだった。
きっと彼も気付いていただろう。
しかしまさか、読み方が解らないとは思ってはいない。
きっと、自分は秀吉にあまり気に入られてはいない。それくらいには感じていたことだろう。

彼はよく働いた。
それは秀吉に気に入られて名をちゃんと呼んで欲しいと考えていたから出た力なのか、それとも元々力のあった人な
のか、それはたしかではないが、とかくよく働いていた。
だから、彼には報償が与えられることになったのだが、「困ったことになった」と秀吉は思っていた。
報償を与えるとき、名前を呼ばなくてはならない。
しかも配下の面前で。大声で、だ。
秀吉にもプライドがある。
今更、「名前なんつーの?」なんて聞けないし、口ごもるなんてもっての他。
いつも尻に敷かれているおねねにだって聞けない。
馬鹿にされるのは目に見えているし、もしかしたらおねねだってわからないかもしれない。

「どうしよう」少し悩んだ秀吉だが、すぐに結論が出た。
「配下に言わせよう」秀吉はすぐに石田三成を呼んだ。

「何の御用でしょうか?」
「明日のあのほれ、四国の例の報償の件、三成やってくれんか?」
「は?何故ですか。嫌です」
「そんなこと言わんで、ちょっと変わってくれればいいんだがね」
「嫌です。失礼します」
「ちょっ、ちょ待てよ」
「キムタクの真似しても駄目です。失礼します」
やはり、先日三成の布団に蛙をしのばせる悪戯をしたのがいけなかったのか、こちらを振り返ることもなく、三成はさ
っさと部屋を出た。
他に頼める人間もいない。
仕方なく秀吉はそのまま本番を迎えることになった。

翌日、大広間に大勢の大名が集まり、秀吉を待っていた。
もちろん今日の主役、長宗我部も静かに秀吉を待っていた。
緊張からか、言葉を発する者はいない。
しかし、その緊張はどこから来るのか。
大きな集まりだからか、それとも、長宗我部元親の本当の読み方を知りたいという緊張感からか、それは解らなかっ
た。
その静かな大広間の襖がゆっくりと開き、秀吉が入ってきた。
今までの者とはまた違った緊張感が走る。
秀吉が皆の前に立ち、長宗我部元親の今までの功績を読み上げる。

そして、その時が来た。
秀吉は大きく咳ばらいをし「な、ながっ否…いいのか?ゴホン」
また咳ばらいを一つ。
「ながそがぶ…もとおやに、報償を授ける!」

『ざわざわ』

「ながそがぶ、前に!」
長宗我部元親は口をポカンと開けたまま微動だにしなかった。
「ながそがぶ、前に!」
もう一度呼ばれ、肩をビクンと上下動させ、思わず立ち上がった「ながそがぶもとおや」。
会はその後、速やかに進行されたのだった。

「ながそがぶ〜!今夜飲みに行かん?」
「あ、はぁ…行きます」

あの日から秀吉とながそがぶは親密さが増した。
しかし、まさか今更「名前が違います」などと言えるわけもなく、改名しようかとまで考えている彼、長曽我部には困っ
ていることがもうひとつあった。
それは自分の近親者までも、ながそがぶと呼ばれていることだった。
今まで自分達が周りと仲良くできなかったのはこういうわけだったのかもしれない。
こんなに長い名前で生まれてきた自分を彼は少しだけ疎ましく思ったのだった。


終わり


実話です(私の)
この人達って主従関係でいいのか誰か教えてください。
多分違うのか?わからんよ(調べろ)