1 考えるということ


曹操の子、曹丕。

彼は考えていた。

何も考えていないようにしつつも、周りに気付かれないように、かなり考えていたのだ。
何をか。今夜の事を。


オロチ軍を破り、今夜は盛大な酒盛りのため、父曹操に命じられて祝杯の準備の仕切りを任されていた彼だったが、
どうにも腑に落ちないことがあった。

何故自分がこんな下働きのような事をさせられているのか。


彼は対オロチ軍の主力だった。
いや、元はといえば、オロチ軍と同盟を組んでおいて、油断させ、寸前で裏切るなんて戦略を立てていたのは他でも
なく彼曹丕なのだ。

「何故私がこんなことを…」

料理を乗せる膳をはこびながらそうつぶやくが、実際彼が頼まれたのは準備の仕切り役であって、そこまでする必要
はないので、下働きの女に注意をされることになるのだが、それは特にどうという問題でもなかった。

「やはりあいつがきてからだ」


父、曹操孟徳。


オロチとの戦闘中に、行方不明、もしかしたら死亡という情報を伝令にもらい、夏侯惇や夏侯淵、許緒などの側近が
泣き崩れる中、曹丕は皆に見えないところで、小さくガッツポーズをした。



幼い頃から偉大な父の背中を見て育った彼は、嫌というほどの周りからの期待の目の中で成長してここまできた。

父に劣らないようにと知を磨き、そして剣をも。

しかし、父は認めてはくれなかった。否、父は彼にさほど興味がないように見えた。

曹丕は父のめがねに適うのを諦めかけていた。


いずれ父の椅子は自分のものになる。

元来努力家だった彼をそうさせてしまったのは、偉大すぎる父。

努力を怠りつつあった曹丕にとって、父の死亡説は朗報だった。

跳び上がって喜びたかったのを抑えてガッツポーズに留めたのは家臣達の目を気にしてのことで、にやけて上がる
口角を下げるのも一苦労だった。

頂点…

鼓動が早まり額に少し汗がにじむ。




天王山で父の姿を見た彼は驚嘆した。


そして古志城

「私が総大将なら…あいつが勝手にオロチに突っ込んでやられて敗北なんてこと、何度繰り返せば気が済むんだか。
曹丕に負けてられるか?お前は武官かっつーの」

宴会会場で壁にもたれながらボソボソと呟く彼に周りの目は痛々しかったが、そんなことは気にもとめずずっと考えて
いた曹丕の頭には一つの結論が出ていた。

そう

「曹操を殺そう」

そう

父を殺せば、自分がまた主導権を握れる。そう考えて、曹丕は親殺しを思っていた。



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宴会のほんの数刻前、曹丕はある人と会っていた。


司馬懿、魏の軍司。

敵に回すと怖い人物だと、今回の事で身に染みてわかっていた。


司馬懿も以前から曹操の傍若無人ぶりに頭を痛めていたのを知っていた。
司馬懿とはなんとなく相通じるところがあると考えていた曹丕はなんとなく司馬懿に自分の考えていることを伝えてみ
ようと思った。

直球ではない、変化球で、だ。

「父のことなんだが、私は死んだものとばかり思っていた。なんとも安堵したよ」
「はぁ、そうですね。…私もです」
「しかし、父もいい歳だしな。そろそろ政権交代的なことを考えておられるかもしれんしな。そしたらどうしよっかな〜」
「…曹丕様…実は私見ちゃったんですよね〜曹丕様の小さなガッツポーズを」
「…え?」
「エヘッ」
「…」
「エヘへ」

青白い顔を少し赤くしながら、司馬懿は笑っていた。

「ふ、ふーん…見たんだ…そうかー」

『ガシッ』


言い終わるか終わらないかのところで曹丕は司馬懿の襟首を掴み、顔を自分の方に引き寄せ、小さな声で呟く。

「誰かに喋ってないだろうな」

もし誰かに話していたら、今夜の計画はまるつぶれどころか、殺る前に殺られる。
曹丕の顔色は司馬懿と同じくらい青白くなった。

「…話していませんよ…安心して下さい」

曹丕の目をしっかり見ながら、少し苦しそうな顔つきで司馬懿は

「苦しいので放していただけますかな殿。」

「…今殿と言ったな?」
「そうです殿。私はあなたの味方です。そして多分殿と同じことを考えています。」
「…」
「殺りたいのですな?」
「何故そう思う?」
「わかります。私は曹丕様の片腕になる人間です」

そう聞いて、曹丕は襟首を掴んでいた手をゆっくりと放した。

「今夜ですな。判っております。女に毒を持たせましょう。」

そう言いながら、司馬懿は袖から小さな布袋を出した。

「即効性はありませんが、じわじわと効いてきます。明日の朝には眠るように死んで行くでしょう」

「なんと…お前なぜそんなものを…」
「まぁ、そんなことはどうでもいいことではないですかな?殿」

殿と呼ばれることに歯がゆさを感じてはいたが悪い気はしなかった。
悪い気はしなかったが、そう呼ぶことを止めた。

「あなたがそうおっしゃるなら」

そういって司馬懿は少し笑った。

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そして数刻後。

曹操の傍らに侍る2人の女のうちの1人を抱き込み、口外したら殺すという口約で布袋に入った薬を酌をする酒に含ま
せるように命じた。


勿論、宴の後すぐ、この女は殺すつもりだった。

女は最初怯えていたようだが
「わかりました。尽力いたします」
と、後のことを悟ったような顔で承諾した。

そのほうが都合がいいと曹丕は思っていた。



宴会が始まり、曹丕の思いは益々大きく膨らんでいった。
何故なら先の曹操の挨拶の時に、古志城での戦の話しを出したのだが、そこで

「やはりまだわしは現役でやって行きたい。息子になど任せておけぬ」
的な発言をしたからだった。
どの口がそんな事を。

言いたい事をいわせておこう。どうせあと少しの命だと、なんとか怒りを鎮めた曹丕は自分の酒に手をやった。

そのとき杯の中の酒に人の顔が写った。
いつの間にか曹丕の後ろに司馬懿が立っていた。
少し驚いた曹丕は後ろを振り返り眉間に皺を寄せる。
「なんだいきなり」
「酒を注ぎにまいっただけですが?」

ふんと鼻を鳴らし、まだ杯になみなみと注がれている酒を一気に飲み干し、空になった手のそれを司馬懿の方に差し
出した。
「後悔しませんな?」
杯に酒を注ぎ込みながら司馬懿はこう言った。

曹丕は小さく頷く。
それを見て、曹操の傍らに侍る女に目配せをした司馬懿は自分の席に戻っていった。

その後注意深く女の方を見ていたが、薬を入れるそぶりは一向に見せなかった。

曹操の顔色にも特に変化はなく、酒を飲んだせいで頬がほんのりと赤らんでいる程度のものだった。





「…おかしい」

司馬懿が言っていた、床に入ったまま眠るように死んでいくというのは本当か疑問が沸いてきた。

自分が見ていないところで、女は薬を入れたのか。それとも…これは失敗に終わったのか…

すべては明朝明らかになる
そう思った曹丕はゆっくりと床に体を沈めた。

あの女は明日殺そうと、そう思いながら。






その晩、曹丕は高熱をだし、うなされていた。
体は大きな石を乗せられたように重く、目はぐるぐる回っていた。

そして浅い眠りについたとき夢か現川か…

枕元には曹操と司馬懿が立ち、こちらを見下ろしていた。
そして二人とも苦い顔をしていた。


「お前はまだ甘い。どんなことで司馬懿を手なずけたと思ったか知らぬが曹操の子という立場に甘えすぎたな。」

その言葉に毒を盛られたのは自分だと初めて気がついた。
司馬懿に酌をされたときだと。


「…知っていたのか…」
声にならないような細い音で言うと、曹操は頷き、「最初からな」と言った。

「人が何も持たない人間に付き従おうと思うか?よく考えろ。お前が持っているものは曹操の子という肩書だけだ。そ
んなものに人がついてくると思うなよ?」

「…父は…父は何で」

「ん?わしか?わしはこれだ」

曹操が懐から出したのは、一冊の本だった。

「これはな、わしが若いころからコレクションしていた三国美女ヌード写真集だ。ぼかしの一切ない本物の生写真だ
ぞ。司馬懿はこれの存在を知っておってな、交換条件でお前の企みをわしに喋ったんだよ」

「…」
司馬懿はだまったままニヤリと笑ってから
「私の狙いは小喬でーす」
と万歳をした。
「…(隠れロリコンめ)」

そう思いながら曹丕は虚ろな目で写真集の表紙を見詰め、ぼそりと
「甄のもあるので…す…か」
そして深い眠りについた。

妻のヌードを見たかったのか、普段見れるだろうにと思いながら、二人は寝室を後にした。





翌日

薬は致死量ではなく、ただ高熱が出るくらいのものだったと司馬懿に聞いた。
曹丕は
「今回のことは本当に勉強になった」
と笑った。そして
「あの写真集のこと、あの怖い奥方にばらされたくなかったら、これからはあのような行動は慎むべきだな。」
「!!」


「…なるほど、人というのはこのように動かすものなのだな。」

青くなった司馬懿の顔を見て曹丕は高く笑った


終わり


彼ならばそう考えたこともあったでしょうという話